sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

『Non-Violent Communication』

sayakot2007-10-21

『ノン・バイオレント・コミュニケーション(非暴力コミュニケーション)』は、アメリカの心理学者マーシャル・ローゼンバーグ博士により提唱された、コンフリクトを乗り越えるためのコミュニケーション方法。平和学という大きな文脈だけではなく、家庭やビジネスといった日常のシーンから、国家間の紛争調停や、ルワンダコソボで現在行われているような、紛争後の民族間の相互理解と和解のステージまで、その適用の範囲は限りなく広い。


コンフリクト状態にある人に、あなたは普段、どのように向き合っているだろうか?例えば、ケンカ中の友だち。ライバル意識の強い研究室の同僚。そりの合わない会社の上司や部下。かれこれ3年も口をきいていない昔の恋人。別れた妻、夫etc…。
冷静に聞けばもっともなことを話しているのに、この人から言われると、なぜかカチンときてつい反発したくなっててしまう――。
そんな経験は、ないだろうか。


ノン・バイオレント・コミュニケーションの基本ルールは、2つ。


★その1:自分に心から素直に、正直になること。相手に対するへつらいや、お世辞、遠慮などは一切交えてはいけない。


★その2:情愛(compassion)を持って相手に向き合うこと。「アイツは●●なヤツだ」「どうして彼は、▲▲をしてくれないのかしら」等々…。 相手に対する一方的な判断(judgment)や批判(blame)、要求(demand)などは一切交えてはいけない。


相手から発信されたメッセージと、受け手が実際に受信するメッセージとの間に、ズレが生じるのは世の常だが、相手に対し偏見など特定のイメージがあればあるほど、そのズレは致命的になり、コンフリクトは深化する。ローゼンバーグの提唱するノン・バイオレント・コミュニケーションは、そういった事態を防ぎながら、いかに両者のニーズを満たす関係性を構築するかを模索する手法だ。


ローゼンバーグは講演の中で、こんなエピソードを紹介している。
ある中東地域の和平プロジェクトの一環で、彼が難民キャンプの視察に訪れたときのこと。
到着するやいなや、反米的な群衆から浴びせられた、敵意に満ちた鋭い罵声。


「Murderer!!(お前の国は、人殺しだ!!)」


自分ひとりを標的にした、この燃え上がるような怒りと憎しみの声に、あなたならどうするだろうか?平静を装い、何事もなかったかのような「オトナ」な態度で、その場をやりすごすのが通常の反応かもしれない。だが内心はきっと深いショックを受け、自分や自国を恥じたり、罪悪感にさいなまれ落ち込んだりするかもしれない。あるいは逆に、「お前に何がわかる!」「お前達のために俺はここにいるんだ!」と、思わず逆上してしまうかもしれない。


しかし、ローゼンバーグは考える。
「人殺し」という言葉の裏に隠された、人々の心の叫びを。一体何が、彼らにそう言わせているのだろう?
彼らは、自分に何を伝たいのだろうか、と。


彼は言葉を放った男のもとに歩み寄り、静かに尋ねる。あなたが私に必要としているものは何なのか、と。


予想外の反応に面食らっている男と問答を繰り返すうち、彼は、人々が十分なヘルスケアや排水設備のない過酷な環境下でフラストレーションを溜めていること、アメリカから搬送されている大量の武器が、彼らの生活を抑圧していること―少なくとも、彼らのそのような現状認識を、理解する。それは、「人殺し!」という憎悪に満ちたメッセージが、「私たちはセキュリティを必要としているのです」という、平和な日常を求める人々の必死のメッセージに、転換した瞬間でもあった。


男はその1時間後には、彼ををラマダン明けの夕食に招待したそうだ。また現在、この難民キャンプにはNVCの学校が建てられ、地域の子供やその親たちが学んでいるとのこと。


ノン・バイオレント・コミュニケーションの特徴は、自分のゴールをただ達成させることにないこと。目的は、目の前の相手と誠実な「関係性」を築くことであり、自身のニーズは、その関係構築のプロセスの中で、相手のそれと共に満たされていかなければならない。そういう意味で、例えば相手を出し抜いて自分の要求を押し通したり、見返りや懲罰を求めたりする言語とは対極にある。


ノン・バイオレント・コミュニケーション―。
言葉にするとそれはとても美しく、強力なツールだが、一方でその実践には、それなりの覚悟と意思が必要だ。
例えば、フランス外務省で働いていた同級生Jは、「互いの足を引っ張り合う」競争的な組織風土を振り返り、その実践の難しさを語ってくれた。NVCは、自身のミエや計算を捨て、見返りを求めず、相手の全てを引き受け、無防備に自分をさらけだすことを求める言語でもあるからだ。ましてや、様々な利害が絡む民族間、国家間のコンフリクトになればなるほど、そういった態度を相手に期待することは難しくなる。そういう意味でNVCは、紛争解決の「特効薬」にはほど遠く、わたしたちが通常の意味で使っている「コミュニケーション」とは違うレベルにあるフィロソフィーにとどまってしまっているのが現状かもしれない。



・・・。とはいえ、このNVC。個人的には大きな可能性を感じている。自身を振り返ってみて、今まで当たり前になっていた、他者に対する自分の評価や認識を疑ってみるきっかけになったり、また、無意識のうちの自分の狭い視野がこれまでいかに前向きな関係構築の機会を失わせていたか気づかされたり。このような視点を持つだけで、世の中に対して、人に対して、自分に対して、心にちょっとした「ゆとり」のようなものが生まれる気さえする。


ちょっとダマされたと思って、皆サマも一度実践されてみてはいかがでしょうか。


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写真は、週末の友人宅にて。各自、食べ物を持ち寄り、教授も招いてのんびりブランチ会。