sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「わたし」の歴史。「父」の歴史。「彼ら」の歴史。

sayakot2007-10-18

自分の幸せな思い出が、世界の誰かにとっての、悲しみの記憶の一部だとしたら―。
そんなことを、想像したことがあるだろうか。


先週、Conflict Prevention(紛争予防)に関する授業で、中米ニカラグアの事例を扱ったときの出来事。プレゼンターは、アメリカ人の同級生。シンプルで鮮やかなトップスがお気に入りらしい彼女のスタイルは、その華やかなブロンドの髪によく似合っている。必要以上にフレンドリーなタイプではないけれど、それがむしろ彼女の心地良いバランス感をよく表しているように思う。


彼女自身、幼少期をニカラグアで過ごした経験を持つ。1979年に帰国した後は、一家はワシントンDCへ移住。ホワイトハウス連邦議会議事堂、最高裁判所、中央官庁などの連邦機関が集まるこの無機質な大都市で、典型的なアッパー・ミドルクラスの白人家庭の子女として、彼女は両親の愛情をたっぷりと受け、何不自由なく育った。


「自分や友達の親が何をしているのかなんて気にもとめない、典型的なDCのティーンエイジャーだったわ。友達にパーティに、それで十分な毎日。そして、ふと気づいたら自分も親とまったく同じキャリアパスを歩んでいる、それが当たり前の環境だった―」


そんな彼女が、かつて自分が住んでいたニカラグアに興味を持ち始めたのは、大学に入学してからのこと。自国中心主義的な米国の政治的・経済的・軍事的介入によって、この国で流された人々の血と苦しみの深さを知れば知るほど、抑えきれないほど膨らんでいく、不安と疑問―。
・なぜアメリカ人である自分と家族が、激動の70年代後半にニカラグアにいたのか。
・そして、CIA職員だった父が、そこでどんな任務にあたっていたのか。


そして、幼かった自分の身の回りで一体何が起きていたのか、執拗に迫る彼女に両親が明かした、家族の新たな歴史。


当時一家が住んでいた、首都マナグア郊外のコミュニティ。近所に住む「お隣さん」たちは、ソモサ独裁政権の中枢を担う政府高官、ソモサの親戚たち、国家警備隊長、政府と密接に絡んだ石油商人やフルーツ会社から派遣されてきたアメリカ人、そして米国大使館関係者。テニスコートやスイミングプール付の大豪邸で夜な夜な開かれるパーティ。


そして79年、腐敗したソモサ政権に対するFSLN(サンディ二スタ民族解放戦線)の一斉蜂起のあおりを受け、まだ幼い彼女を連れ、母親は任務中の夫を残し、逃げるようにアメリカへ帰国。父親もまた、身に迫る数々の危険を寸でのところで切り抜けながら、数ヵ月後、愛する妻と娘の待つ故国へ生還。もっとも父親は、その1ヵ月後には、今度は妻子をアメリカに残し、ベネズエラでの新たな任務に旅立つことになる。


「父は、ただ国を愛し、自分の任務に忠実であっただけ。でも私は、父がニカラグアで本当は何をしていたのか、信実を知ることは一生できないでしょう。私にとっては、家族を愛する、本当に優しい父なんです。私がどんな思いで今、平和学を学びに来ているか、それを分かっていて、それでも応援してくれる、そんな父なんです―。」


搾り出すような声でそう叫んで、彼女は泣き崩れた。人一倍、正義感が強い彼女の、家族を誰よりも愛する彼女のその涙には、父親に対する怒りと失望、感謝と愛情、そして同じ血を受け継いだ娘として、自分自身への罪の意識のようなものが入り混じっているように見えた。彼女のその混沌とした想いに完全に決着がつくことは、もしかしたら一生ないのかもしれない。


もらい泣きをする学生たちが、何人もいた。
だが、彼女の涙は、そこまで特別なものだろうか。うまく言葉に出来ないが、たとえ自分の父親がCIAの工作員でないとしても、わたしたちの誰もが、多かれ少なかれ、同様の重みを背負っているのではないだろうか。


自分たちの「無知」さ、そこから導かれる日々の「行動」、そして「行動を起こさないこと」、それらが結果として、遠くどこかで生きている人々の苦しみにつながっていないと、どうして言い切れるだろうか。彼女の場合は、たまたま、それがより残酷な形で浮かび上がっただけなのではないか。そういう意味で、彼女が、まるで世界で起きたあらゆる悲劇の責任を、自分ひとりが背負ってるように感じる必要はないのではと思うし(ただ単にそう見えた、だけなのだが)、アッパー・ミドル階級の恵まれた家庭に生まれた白人として、一生何も気づかないフリも出来た中で、それと恐らく一生向き合うことを選んだ彼女は、やはり強いと思う。そういう意味で、わたしは彼女のその勇気に、なにか熱いものを感じずにはいられなかった。


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写真は、首都サンホセ国立劇場からの風景