sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

誕生日によせて

sayakot2007-10-16

13日から2泊3日、週末を利用してカリブ海へ行ってきた。
コスタリカ人の友人が借りてくれたバンに、14人が所狭しとぎゅうぎゅうに
乗り込み、首都サンホセから4時間のドライブ。


白やピンク色をした貝殻の散らばる真っ白な砂浜と、遠くまで透き通ったコバルトブルーの海。レゲエの音楽をかけながらアクセサリーを売る、ジャマイカから移民してきた肌の黒いおじさんたち。波の音を聞きながら、ピニャ・コラーダと、友人がデコーレーションしてくれたケーキで、一足早い誕生日を祝ってもらう。


そして最終日の夜。
帰ってきて、PCを開くなり受け取った、祖母の訃報。


日本を発った時から、なんとなくはしてきたはずの「覚悟」の無力さを知る。
そして、地球のほとんど裏側で、思い出を誰かと共に分かち合うことができない孤独さを、痛感。
従来の通信や交通手段がどれだけ進歩しようとも、決して埋めることのできない絶対的な距離がここにたしかに横たわっている。


平和とはなんだろう、紛争とはなんだろう、そんなことを夜中まで議論したり、アフリカやアジア、世界の様々な国々の友人たちとの交流を通じて、自分が生まれ育ってきた「日本」という社会を相対化してみたり、自分は人生をかけて何を成し遂げていきたいのだろうと思いを馳せてみたり―。
3月末に会社を辞め、4月に日本を発ってから、わたしは今までに味わったことのない類の自由を経験しているように思う。


日本の社会に今何が起きているのか、家族がどのような毎日を過ごしているのか、大切な友人・知人たちが日々何を思い、仕事に恋愛に家庭に向き合っているのか、そんなことも知らずに―もしかしたら、知ろうともせず―自分の欲求だけに突き動かされ、まだまだ形にもなりそうにないことに、頭をいっぱいにしている。


このプログラムに参加するにあたり、ある友人に言われた言葉。


「お前は幸運なヤツだね。そういう風に生きてみたくても、いろんな事情でできない人間はたくさんいるんだ。それを忘れるなよ。」


『生まれ変わったら、深海魚になりたい―』小学生の頃、そう言って、母を困惑させたわたし。
自分の人生は自分の意思で切り開いてきたのだと、心のどこかで、いつもそう反発していたけれど、今、ようやく素直に認めることができる気がする。自分は、つくづく幸せモノなのだと。


幼い日、軽井沢で日が暮れるのを忘れてはしゃいで過ごした祖父母との思い出に、胸がぎゅっと締めつけられるような、言葉に言い尽くせない寂しさを覚えながら、そう思う。


生まれてきたことに、家族に、亡くなった祖父母に、神戸の祖母に、友人たちに、支えてきてくれた全ての人に、心の底から感謝。
ありがとう。


また必ず、元気に再会しましょう。