sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

BANANA REPUBLIC -バナナ共和国の真実‐

sayakot2007-10-10

1978年にカリフォルニアに登場した、バナナリパブリック。「手の届く高級感」を
備えたカジュアルアイテムをそろえ、アメリカの大抵のショッピングモールで見つけることができる。2005年には日本に上陸を果たし、話題になったのは
記憶に新しい。わたしも好きなブランドの一つだ。


さて、この「バナナ・リパプリック」=「バナナ共和国」というネーミング。
いかにもトロピカルでキュートなブランドネームだが、その言葉の本来の意味を知る人は、アメリカ人を含め、意外に少ないのかもしれない。


国際政治の世界において、‘Banana Republic’は、バナナなどの一次産品の
輸出に依存し、外資によってコントロールされる政情不安な国を指す。特にホンジュラスグアテマラパナマなど中南米の小国に対して使われることが多いが、広義には同様の状況にある他地域の国家に対して使うこともある。 (Wikipediaより)


食卓に届けられる、バナナ。スーパーで買うとき、その値段や産地を気に留める人は、一体どれだけいるだろうか。そして、ちょっと放ったらかして黒くなってしまったら、ほぼ間違いなく、そのままゴミ箱行き。わたしたちにとって、そんな重さしかない、バナナ。
だが、その背景にある物語は、長くて、重たい。
1900年代に始まる、アメリカの中米政策。米国のフルーツ会社による、広大なプランテーションの建設ラッシュと共に、地域のコミュニティの様相をガラリと変える開発は急速に進む。


鮮度が「命」のバナナビジネスには、生産・輸出の厳格な管理が求められる。アメリカ資本は、輸送用の鉄道や港湾施設といったインフラ建設にも次々と進出し、政治的にも、各国の支配者層(しばしば、大量の小作人を有する、大土地所有者)と結託し、この地域に頑強な基盤を築いた。特にユナイテッド・フルーツ(現チキータ)社では、その経理部長がホンジュラスの大統領になり、グアテマラでは1954年、CIAと結託し、当時の左翼政権を転覆させたといわれている。緊張の高まる冷戦構造の中で、独裁政権であろうと、軍事政権であろうと、親米的な体制維持に、なりふり構わず注力する姿勢は、表向きにはヨーロッパの帝国主義とは一線を画していたこの大国が、いかに実質的に中南米を「支配」していたかが分かる。


人々は構造的な貧困に苦しみ、米国が後ろ盾したゲリラ活動や内戦等でグアテマラでは20万人、ニカラグアエルサルバドルでも十万人近い人々が犠牲になった。現在の政情不安も、以前癒えることのない様々な社会問題も、元を辿るとこの時代に戻ってくる。


中南米スペイン語には、「グリンゴ(gringo)」という言葉があるのだが、これは、アメリカ人に対する蔑称としてしばしば使われている。ネガティブなニュアンスの度合いは、やはり歴史と相関するようで、コスタリカでは単純に「アメリカ人」を指し、必ずしも侮蔑的な意味合いを伴わないようだが、グアテマラホンジュラスなどでは、日本人の「ジャップ」に近い、強い語感を持つ。そして語源をたどると、諸説あるものの、米国軍人がかぶっていたグリーンベレーを見て、民衆が“Green, Go Home”と叫んだことが由来という説が濃厚だとか。



さて、話を戻す。
今回の話は、すべてメキシコ人の友人Aに教えてもらったもの。Aに言わせると、「バナナリパブリック」というブランドネーム自体、
アメリカの中米に対する潜在的な優越意識の表れなのだという。カジュアルでリラックス、それでいてどこか‘洗練’されたこのブランドのコンセプトこそ、カリブにやってきた白人たちのスタイルそのものなのだ、と語調を強めて彼は言うのである。


最近、自分に言い聞かせていること。
知らないことがあるのは、当たり前。でも、ほんの少しだけ外に目をやることで、ちょっとした自分の日常から、世界のいろんな構造が見えてくる。だから、知らないでいることを当たり前にしてしまわないこと。知ることから、自分と世界のつながりが生まれてくるものだから。そんな気がする。


■■■
授業の風景。教室の外にでて、アクティビティ。