sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「コンフリクト」を考える

sayakot2007-10-05

■conflict
  意味1. 不一致、衝突、対立、論争、摩擦、葛藤、あつれき、法の抵触
  意味2. 争い、紛争、闘争、戦争、戦闘
                         (SPACE ALKより)


なにかとネガティブな意味合いを持つことが多いこの言葉。意外にも、平和学の文脈の中では必ずしも「コンフリクト」=「悪」とは限らなかったりする。
わざわざミャンマーイスラエルの例を見なくとも、それは、わたしたちの日常のあらゆるシーンに存在する。


例えば、
・子供を一流企業に就職させたい親と、アーティストになりたい息子。
・キャリアに集中したい男と、今すぐ結婚したくて仕方のない女。
・利益追求型の経営者と、世の中への貢献感を求める従業員。
とか。


それぞれに違う文化や価値観を持つ人間が2人以上集まるとき、互いの期待や利害が異なることは、むしろ自然なことであり、そういった意味で、あらゆる社会において「コンフリクト」は不可避であり、その「解消」とか「予防」とかいう言葉も、時にあまり意味をなさなくなる。


日本ではまだあまり知られていない「Peace Studies(平和学)」。語感のせいなのか何なのか、実社会から切り離された、LOVE & PEACEのノー天気な学問と誤解されやすい(わたしも最初はそう思ってたけれど)。だがその目的は、コンフリクトを地球上から「消滅」させる魔法を探すことでも、神サマお願いと奇跡を祈ることでもない。社会がある限り、コンフリクトはそこに常に「ある」のである(程度の差こそあれ)。結局のところ、平和学に、そしてわたしたちに許されているのは、それを、少しでも“ピースフル”なものにその質を変化させるべく、自身にそして他者に働きかけることだけなのである。


それは、平和学のパイオニアであるガルトゥングの言葉を借りると、目の前のコンフリクトをいかに理解し、向き合い、それをいかに最終的に社会そして個人の、非暴力的(non-violence)で、共感(compassion)に満ちた、創造的(creativity)な態度や行動に結びつくものへと、変容(transformation)させていくかということであり、そういった意味で、平和学は理想主義的な側面を持ちつつ、結構プラクティカルな学問であるように思う。


もちろん、その「変容」のプロセスが果てしなくチャレンジングなものであることは変わらないのだけれど、忘れてならないのは、平和学における「コンフリクト」は、破壊的な意味合いだけでなく、負のエネルギーを秘めた現状からの脱却と、前向きな変化への可能性を常に秘めているということだ。



かくいうわたしも、日々、諸々の方法論やケーススタディと向き合うたび、これはなかなか魅力的なアプローチだとオプティミスティックになったり、こりゃやっぱり全然だめだとペシミスティックになったり、なかなか忙しい。
これから何回かにわたり、複雑に絡みあったノットを一つずつほどいていく、そのためのツールを、いくつか紹介していきたい。



■■■
写真は、トルトゥゲーロの村で出会った、ニカラグア移民の子ども。