sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

旅雑感

sayakot2007-09-22

日本から訪ねてきた友人Iと、大学の仲間6人と共に出かけた
海亀産卵ツアー。


1ヶ月ほど前に食堂で偶然出会った旅行代理店の女性にアレンジを依頼し、交通費・宿泊費・食費・公園内の見学代込みで$204という、ちょっぴり気恥ずかしくなるような典型的パッケージツアーだった。


こうした形で参加したのは、言葉の問題と、交通アクセスの不便さ、そして生態系保護の観点から、公園内の見学に専門ガイドの同伴が必要なため。わたしたちの他、50名近いツアー客がいたが、その半数は、意外にもスペインからの中高年グループと新婚カップル。残りの半数は、オランダやドイツ、フランスなど同じくヨーロッパ圏からの裕福そうな熟年夫婦が中心で、アメリカ人も若干名。アジア人が少ないのは当然としても、同じ中南米からの参加者が全くいなかったのは少し意外だった。


国土の4分の1が自然保護区というコスタリカには、白砂のビーチ、火山、熱帯雨林etc…というように、地域によって様相のまったく異なる自然がある。国家主導の積極的な自然保護と観光産業の融合は、この国が「エコツーリズム先進国」と言われる所以でもでもある。海外からの観光客たちは、1−2週間の滞在期間に、こうした国立公園へのパッケージツアーを3、4つハシゴするパターンが多いとのこと。


それにしても、「旅」とは何てフシギな行為なのだろう。例えば欧米やアジアから、大自然を満喫するためだけに(もちろん他にもいろいろ目的はあるのだろうけれど)高い航空券を購入し、何時間もかけて飛行機を乗り継ぎ、旅先でも多くのお金と時間を費やし、そして「ああ楽しかった」と、再びえんえん飛行機を乗り継ぎ、それぞれの日常へと戻っていく。旅先での「現実」は、美しく仕込まれた映画のように「思い出」に形を変え、人々の記憶に残っていく。まるでそれは、空間の恣意的な「切り貼り」のようにも思える。


トルトゥゲーロ公園近くには、隣国ニカラグアからの移民コミュニティが点在している。日々の大雨を一体どうやって防いでいるのだろうかと思うようなバラック小屋と、そこに住む人々の肌の浅黒さ、少しぶっきらぼうに聞こえる言葉の感じは、わたしたちの住むコロン町とはだいぶ異なる。住民の殆どは、ホテルやレストラン、お土産屋など観光産業に携わっているとのことだ。世界中の自然愛好家たち憧れのエコツーリズム国家を支えているのは、より豊かな生活を夢見て国境を越えてくる、こうした人々の日常なのだと思うと、今まで見えてこなかった、別のダイナミクスが見えてくる。


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写真は、夕暮れ時の砂浜でサッカーをする地元の子供たち。