海亀の涙
トルトゥゲーロ国立公園は、カリブ海に面した天然の運河と周辺の熱帯雨林を含む1万8千ヘクタールもの広大なエリア。その手付かずの大自然には、ワニやジャガー、サルやナマケモノなどの他、多種多様な水鳥や昆虫が生息している。中でも7−9月には、産卵のために数千もの海亀が浜辺に押し寄せることで有名で、それが「海亀のいる場所」という公園の名前の由来にもなっている。
今回幸運にも遭遇できたのは、Green Turtleという、体長1mほどのアオウミガメ。産卵は夜に行われ、それを観察するには専門のガイドが必要。母亀のストレスを最小限にするために、ガイドだけが懐中電灯を持つことを許され、写真撮影は厳重に禁止されている。
段取りとしては、ツアー客は10人ほどのグループに分かれ、それぞれにガイドがつく。やみくもに人間が動いてしまうと、母亀を驚かせてしまうため、まずレンジャーが砂浜で産卵中の亀を見つけてから、無線でガイドに指示。そして1グループごとに、ガイドに従って亀を観察、という流れ。これだけ注意を払っていても、やはりこちらは大人数。せっかく上陸はしたものの、不穏な空気を察知して、産卵をしないまま海に戻ってしまう亀が何匹か目撃した。本当に厳密な自然保護を訴えるならば、観光客など一切締め出してしまった方が良いに決まっているだろうが、国の基幹産業として成り立たせる以上、リスクを最小限に抑えながら、どこかでバランスを見つけることが必要になるのだろう。
・・・。
さて、砂浜でレンジャーからの連絡を待つこと約30分。
岸から30mほどあがった砂浜で、産卵は既に静かに始まろうとしていた。1mもの巨体がすっぽり隠れてしまう大きな穴に身を潜めながら、母亀はさらに後ろ足を使って、卵を産み落とすための深い穴を掘っていた。
やがて、ピンポン玉のような丸く白い卵が、2つ3つとポロポロと産み落とされていく。10人ほどの人間に後方を囲まれていても、もはや気にする様子もなく、母亀はじっと静かに産み続ける。空には一面に星が瞬き、聞こえるのは、波の打ち寄せる音だけ。なんと無防備で、大きな、母亀の背中――。「自然の神秘」と言ってしまえばまるで陳腐に聞こえるが、そこには、何物も寄せ付けない気高さがあった。
海中では、妖精に喩えられるほど優雅に泳ぐ海亀だが、一度地上に上がれば、それは、とてつもなく動きの遅い、肉の塊。人間、野犬や野良猫、ジャガーに襲われる危険も顧みず、重力に引きずられるように重い体を、歩くためにあるのではない足を懸命に使って上陸し、何時間もかけて穴を掘り、産卵する。ただ次の世代に命をつなぐためだけに。このけなげな美しさは、表現しがたいものがある。
それでも、多くの野生動物同様、海亀をとりまく現実は、厳しい。ガイドのジョバンニの話では、温暖化によって雌雄のホルモンバランスが崩れ、現在雄の個体数が著しく減少しているそうだ。また、生息地域の開発や汚染によって、そもそもの全体数が、年々減少の一途を辿っているとのこと。ちなみに少し前までこの地域では、海亀の卵を、マッチョイズムの象徴として、地元の男性達が好んで飲む習慣があったそうだが、今ではそれでも厳重に禁止されているとのこと。
人間の経済活動が生態系に与えている深刻な影響は、新聞やニュースでも耳にしていたことではあるが、「人間のすることなど関係ない」というように、次の世代に生命をつなげるという自らの使命をただ無言で遂行する海亀の背中に、私たちに課せられた責任の大きさを痛感。エコツーリズムというレベルだけではなく、そもそもの地球の環境問題という視点で、政府・学校・企業・市民を巻き込んだ取り組みが緊急に求められているのではないだろうか。
(ちなみに、あの有名な「海亀の涙」は、公園の方針で、観光客が母亀の前方に立つことが許されていないため、見ることができず。でも母亀のたくましい背中に、むしろこちらが涙しそうに。)
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写真は、ストロベリーフロッグ。その猛毒は、原住民の毒矢にも使用されていた。ジャングルの木の下に、ちょこんと座っていたりします。