sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

平和と教育

sayakot2007-09-13

現在受講中の平和学基礎講座は、オムニバス形式。


今回の講師、アリアナは知的な美しさを持った教育者。
彼女がこのフィールドに深く情熱を注ぐようになったきっかけは、2001年、彼女自身が教師として実際に経験した、米国カリフォルニア州サンディエゴ・サンタナ公立高校でのある事件。
いじめを受けていた15歳の生徒が銃を乱射し、生徒2人が死亡し、十数名が負傷した。


平和教育」は、幅広い概念だが、そのコアにあるのは、「非暴力」、他者への「寛容さ(tolerance)」、「相互理解(mutual understanding)」、「敬意(respect)」のスピリットと、
多様な文化が共生するカルチャーの醸成がある。そして精神的なものにとどまらず、学習者の実際の「行動(action)」に結びつけること、それが重要な要素になる。


だがそこには一つの確立された道筋があるわけでは当然なく、特に実践の場においては、
その地域の「コンテクスト」の理解が、成功の要になる。なぜなら、例えば13年前、国民の
1割近くが「隣人」によって抹殺されたルワンダと、日本とでは、「平和」に対する認識も前提も異なるし、それゆえに、
その実現に必要なステップも変わってくるからだ。



さて。今からご紹介するのは、実際にレクチャーで行われた、ある「実験」。



皆、指示されたとおりに目を閉じている。


講堂は静まり返っている。そして突然、静寂を打ち破るように、アルミの器の上に、「カタン」と一つの小石が落ちる音が、
響きわたる。


「この小石1つ分の音が、第二次世界大戦で使われた全ての兵器の威力だと想像してください」


静かに生徒たちに語りかける、澄んだ彼女の声。皆、目は閉じたまま。


そして再びの静寂のあと、


「カターン、カターン・・・・・・ザー・・・・・・・・・ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ザー・・・・・・・・・・・・・・・
ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ザー・・・・
ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。カターン・・・・。カターン・・・・・。」


今度は、突然の夕立のように、小石が流れ落ちる音が、響き続ける。ひたすらに。ひたすらに。
押し寄せる小石の波に飲み込まれるような感覚に襲われながら、恐らく、講堂にいた誰もが、この止むことのない不吉な音が一体何を示しているのか分かっていた。


“Imagination is more importantnt than knowledge (想像は、知識よりも重要である)”は、アインシュタインの有名な言葉。
現代社会に存在する、兵器の数。もちろん正確な数字を導くことはほとんど不可能に近いが、ある統計によれば、第二次世界大戦で使用された全兵器を「1」とした場合、現代社会に存在する兵器の数は「2763」に相当するとのこと。数字で聞いてしまえば、何となくそんなものかと思ってしまうが、こうしたて実際に体で感じることで、背筋の凍るような現代社会の現実を、初めて認識するのである。


だが、彼女は強調する。この実験は決して、若い世代に、未来が"hopeless(救いのないもの)"だと認識させるためにあるのではない、と。そして彼女は、アメリカにある、"Educators for Social Resoinsibility"という団体の活動を紹介した。平和教育を、「教育者たちの社会的責任」として位置づけ、独自のカリキュラムやデータベースの提供、学校を対象にしたコンサルティング等を行っているそうだ。



締めくくりは、Maria Montessoriの言葉。


“Establishing lasting peace is the work of education; all politics can do is keep us out of war
(永続する平和を築くのは、教育の力。政治にできることは、戦争から私たちを遠ざけることだけ)”