sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「アジア」とか、「アフリカ」とか。

sayakot2007-09-12

先週、私の所属するDual Campusプログラムの「同志」で、最後までマニラに取り残されてしまっていたバングラデッシュ人のMが、ついにコスタリカに到着。遅れること、約2週間。コスタリカでのオリエンテーションも授業もとうに始まっていた中、ひとり残されていた彼は、どれだけ心細かっただろう。わたしたち先発組も、彼のバングラデシュ訛りの英語と、少年のようにキラキラした瞳が無性に懐かしく、嬉しく、感動の再会を果たす。
週末はメンバーの家で、彼の歓迎パーティを開催し、各自が持ち寄った手作り料理をつまみながら、マニラの思い出話に花が咲く。Dual Campusプログラムメンバーの結束が、一団と強くなっていることを、改めて実感。


(国連平和大学では、「平和学」という大きな枠組みの中で、教育、環境、メディアetc..いくつかのプログラムを提供している。そしてその中でも、フィリピン(5ヶ月)→コスタリカ(6ヶ月)→フィリピン(9ヶ月)という2カ国をまたがる、このプログラムは、「アジア」という地域に特別なフォーカスをしていて、約30名のメンバー全員がアジア出身)


フィリピンにいたときには、アジア地域における多様性というものを深く実感したものだが、ここコスタリカ本校にやってきて、北アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカ、北東西ヨーロッパetc…更に一段階上のレベルでのダイバーシティに触れるにつけ、逆にそういったアジア地域内での差異がもはや相対化され、「アジア」としての一体感が一気に強くなるから不思議なものだ。


もちろん普段、ランチをしたり、勉強したり、たわいもない話をする際には、「個人は個人」というスタンスで、アフリカ人であろうが西欧人であろうが、相手の国籍や出身地域を意識することはあまりないが、それでもやはり、開発問題や紛争に関するディスカッションをする際、あるいはお互いの問題意識やバックグラウンドを共有するシーンになると、やはり個人の中で、国家レベル、文化レベル、あるいは地域レベルでのアイデンティティが非常に強くなるように思うし、それはある意味当然のことだろう。生まれ育った地域社会での経験と選択の中で、それぞれに培った問題意識を背負って、皆、はるばるコスタリカまでやってきたのだから。


そういえば、この間、紛争地域における“mediator(調停者)”の役割についてディスカッションしていた中で、アフリカの某地域の紛争に、「利害のない」第三国の人間が調停するケースについて話が及んだ。白熱するディスカッションの中で、エチオピア出身のIが、声高に発言。


「正直、アフリカに縁もゆかりもない人間が、わたしたちの問題に口を挟もうとしたところで、現地の混乱と反感を招いて失敗に終わるだけだわ」と。


これは決して、彼女が特に排他的な思想の持ち主であるというよりも、要は、地域のコンテクストを知らない人間が、たとえば「西欧的」な自分達の価値観を押し付けて物事を解決しようとすることのリスクを指摘したのだと思うが、日頃、“politically correct(政治的な適切さ)”であることに極端に意識の高い環境にいる中で、ここまで鮮やかにストレートな“We(私たち)”と“They(彼ら)”の区別に、思わず、それが素直な感覚なのだろうなと妙に納得。


とはいえ、この件に関していえば、もちろん当事者同士で解決できるのであればそれがベストであろうが、状況によっては、第三者でなければできない場面も存在するだろうし、その際には、「呼ばれてませんから」とただスネているのではなく、徹底した地域の理解をマストとした上で、介入が必要であろう、というのがわたしの感覚だが。



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写真は、小学校のダンスの発表会にて。