sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

nostalgia 〜家族の風景〜

sayakot2007-09-02

今日は、ホストファミリーの子供、ミチェル(8歳)の学校の芸術発表会。お母さんのマリアは朝早くから、娘のダンスの衣装を用意したり、髪をアップに結ってあげたり、かわいらしいメイクをしてあげたりと、ばたばた忙しそう。晴れの舞台にワクワクしながらも、ちょっと緊張した表情のミッチェルと、いつもと違うそんな姉をからかう弟の光景に、ふと幼い頃を思い出す。


お父さんホセのオンボロの仕事用の軽トラックに、家族4人(夫妻+ミチェル+ダニエル(6歳))とわたし、そしてお祖父ちゃんおばあちゃんが一緒にぎゅうぎゅうになって乗り込んで、いざ出発。


ホセが、スペイン語で一生懸命教えてくれたことには、(たぶん)ミチェルの学校はダンスや音楽、絵画など芸術教育に重きを置いた私立の小中高一貫校で、倍率も100倍近いそうな。こうしたタイプの学校はラテンアメリカでは「唯一」とも言っていた。以前、コスタリカではほとんどの子供が公立に進学すると聞いたことがあるので、この家族はそういった意味では少し特殊なケースなのかもしれない。とはいえ、夫婦ともほとんど英語を話さないし、隣国パナマを除けば、この小さなコスタリカを出たことがない、ごく普通のつつましい一般家庭だ。今日も、普段とまったく変わらないごくごく普通のジーンズとTシャツ姿で、愛する娘の晴れ舞台を見にいくわけだが、子供に少しでもいい教育を受けさせたいという親の思いは普遍的なものだなあと、しみじみ。


学校は、首都サンホセにあり、家から車で30分。平日は渋滞で1時間くらいかかるとのこと。
体育館のステージで、小学校1年生から高校生までが、プログラムに沿って各学年が発表をする。高校生の部がブラスバンドの演奏だった以外は、発表はコスタリカの伝統的なダンスが中心。白い肌と黒/茶っぽい髪と目をしたラテン系の子供たちがやはり大多数を占めるが、時々、金髪と青い目の子供や、褐色の肌をした子供がいる。アジア系の子供は、見る限りは一人もいなかった。


それにしても、白いブラウスに、かかとまで届く、色鮮やかなひらひらのスカートを着た少女たちの姿は、まるで“プリンセス”のように本当にかわいらしい。自慢のわが子を撮影しようとする父兄たちの熱気で場内がヒートアップするのも納得。ちなみに、この学校に限らず、コスタリカの子供達は、皆こういったダンスを学校で練習するとのことを聞き、この国では、かつての自分のようなボーイッシュな女の子はあまり多くないだろうなと思わず想像する。



夜、いつものように家族で夕食。
2人の子供たちが、わたしにスペイン語を教えようとしきりに話しかけてくれるのだが、その中で「チナ(China)」という言葉がしばしば飛び出してくる。コスタリカの子どもにしてみれば、中国と日本が同じなのも当たり前だろうと、わたしは気にも留めずに会話(というほどのカタチにもなってないけれど)を続けてしまうのだが、そのたびに慌ててホセが、中国と日本は、コスタリカパナマが違う国であるのと同じように、別の国なんだ、お姉ちゃんは「中国人」じゃなくて「日本人」なんだよ、と一生懸命子供たちに言い聞かせる。ポカンとしている子供たちに、それぞれの国と文化をリスペクトしなきゃだめだよ、とホセは続けるのだが、「文化をリスペクトするって、どういうこと?」と、ミチェルが、またもっともな質問をする。そしてそれにまた一生懸命答えるホセ。


こんな親子のやりとりを見ながら、平和ってこういった家庭のささやかなシーンから育まれるものではないだろうかとふと思う。
もちろん、平和構築に関する諸々のセオリーも面白いのだけれど。