sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Pinoy & Tsinoy ver.2 (ピノイとチノイ その2)

sayakot2007-07-02

フィリピン社会における中国系エスニックへの反発の背景には、彼らがこの国の経済を「牛耳っているから」という通念がある。また、「純」フィリピン人の友人に言わせると、中国系エスニックはピノイを「見下し、両者の間に境界を設けようとしている」というのだ。


一方、中国系エスニックたちは、彼らが何世紀にも渡り受けてきた差別と抑圧の歴史を語り継ぎ、その防衛手段として自らのコミュニティを築く必要があったのだと主張する。また、彼らのほとんどが実業界に従事しているのは、そもそもフィリピン政府が1975年まで彼らの市民権を認めず、医療や法曹界、エンジニリングといった領域への道を閉ざしていたからだという。


話は少し逸れるが、先日訪ねたBahay Tsinoyで話を聞かせてくれたボランティア女性は、中国系フィリピン人2世で、普段はチノイの学校で教師をしている。20代半ばだろうか。少しぽっちゃりとしているが、健康的で聡明で、何より快活な語り口がとても気持ちの良い人だった。


さて、彼女に言わせると、現代のフィリピン経済における中国系エスニックのプレゼンスの大きさは、彼らのビジネスが、人々の目に付きやすいリテール業界に集中していることから生じる、”misconception(思い違い)”によるものであるとのことだ。
例えばスペイン系のアヤラ財閥は、マニラ最大の商業地区マカティの土地全てを私有地として所有し、「中国系エスニックとは比べ物にならない」財力を誇っているが、「土地」の所有権などは目に見えないものであるから、それが社会に及ぼす影響力の大きさに、誰も意識を向けないだけなのだと。そしてそれゆえに、それがスペイン系フィリピン人への反発につながることはほとんどないのだと少し憤慨した様子で言う。


勝手な想像だが、ピノイたちによる中国系エスニックへの感情は、嫉妬に近いのかもしれない。有無を言わせぬ圧倒的な力で社会を支配した旧支配者たちならばまだしも、自分たちと同じ(あるいはそれ以下の)被支配者であった中国系エスニックが、フィリピンという自分たちの土地で、巧みに独自のコミュニティを守り、成長していく姿に、ある種のジェラシーが働いているのかもしれない。


ところで、彼女とのディスカッションの中で興味深かったのは、フィリピンで生まれ育った彼女たちチノイの、「新移民」に対する冷ややかな視線である。チノイたちは、数々の困難の中で、今の生活を築いてきた自らのルーツに大きな誇りを持っており、近年、中国から単に「より大きな機会を求めて」流入する新移民たちを”Chinese Nationals ”と区別する。


実際、福建省の貧しい農村地域からの不法移民は近年後を絶たず、犯罪に手を染めたり、強引な商売のやり方で昔ながらのコミュニティの秩序を乱し、ピノイたちの不評を買っているならず者たちが多いのだそうだ。中国は今やお金持ちなのだから、わざわざフィリピンに来るなんて、何か悪い意図があるに違いないわ、と彼女は言うのである。


”We would rather want them to go back (むしろ私たちチノイは、彼らに中国に戻ってほしいのよ)”


と、彼女は驚くほどキッパリと言う。



中国系エスニックたちのアイデンティティは、ピノイたちが見ているほど、決して画一的なものではないのだろう。
むしろ、長年苦められ続けた差別と排除の構造が、彼ら自身の間でも展開されつつあることは、フィリピンにおける中国系エスニックたちによる「中国的なモノ」への決別と、新たな「チノイ的なモノ」確立への意思表示といえるのかもしれない。