sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

ぼったくりにみる社会学的考察

sayakot2007-06-17

レイテでも、サマールでも、人々に口を揃えて言われたこと。


「マニラは怖いところだから、くれぐれも気をつけるんだよ」


レイテからマニラに戻ってきた日。
飛行機の窓から見える交通渋滞とよどんだ空気に思わず、ああ、戻ってきてしまった・・・。


一緒に旅をした友人とは空港で別れ、いざ帰宅。


空港から、寮までの交通手段は、タクシーが基本。所要時間、約1時間。
約250P(780円)。


マニラでタクシーを利用する際の、三か条。


◆その1:そもそも目的地まで行ってくれるかどうかを確認
→乗車拒否はあたり前。交通渋滞が特にひどい郊外には、皆あまり行きたがらない


◆その2:メーターがあるかどうかを確認
→特に外国人はぼったくられやすい


◆その3:乗車後、車のナンバープレートとドライバーの名前をメモ&知人の携帯等に送信
→「何か」あったときのため。ほとんどのタクシーで、ナンバープレートと運転手の名前、会社の連絡先などがドアか窓の近辺に
書かれている。これらの情報をメモしたり、携帯で誰かに送っている行為をアピールするだけでも効果あり


珍しくすんなりタクシーが捕まり、ホッとしたのもつかの間。
車が発進して約5分。おもむろに運転手がメーターを切り、「300P」と低い声で一言。
メーターをつけなさい、思わず反発したものの、なにせこちらは一人。
外は暗くなってきている。無駄な抵抗はあきらめ、「OK」と一言。


フィリピン人の友人がくれたレッスン通り、車の番号とドライバーの名前を控え、メールを送る。
ちょっとした緊張が走る。


1分後。
「すぐにそのタクシー会社に連絡するから」と強い調子で返信してきた友人に、余計な刺激を与えたくないからそこまでしなくていい、と諌めるメールを戻す。その後も、本当にそのタクシーは寮の方向に向かっているのか、運転手はどんな様子なのか、次々にメールが送られてくる。


この緊張感。
ああ、マニラに本当に戻ってきた。
数時間前までいたレイテとサマールの、あの牧歌的なのどかさを思い返すと、そのギャップにおかしくなってくる。


“I just came back from Leyte and Samar! That place was sooo beautiful!(レイテとサマールから帰ってきたの。すごく綺麗なトコロだった〜)”
気を取り直して、あえてノン気に独り言を言ってみると、運転手は初めて顔を上げ、日本人にしては珍しいな、と言い、俺はネグロス出身なんだとポツリと続けた。


セブ島の西に浮かぶネグロス島における貧富の差の激しさは、フィリピン全体の縮図と言われているほど。苦労が刻まれたような深いシワとその浅黒い肌の色から、もしかしたら彼も、レイテやサマールで見たような貧しい漁村に家族を残してきたのかもしれないと勝手な想像が働く。


すっと空気が急に和らぐ。
気がつけば、もうタクシーは寮のすぐ近くまで来ていた。
とりあえず、ほっ。


「300P」と彼が要求してきた金額。実は空港からの距離を考えると、相場から考えても大した額ではない。日本人の小ムスメ相手に、もっと吊り上げることもできただろうにと意味不明な同情すら芽生える。


そして、降りる間際。
"Good night, ma’am"
タクシードライバーに、おやすみなんて声をかけられたのは初めてだった。その表情は、どこか優しかった。


・・・
長かった休みもいよいよ終了。
それにしても、ずいぶん中身のつまった一週間だったこと。


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写真は、ゴミ溜め地区パヤタスに生きる少年。
私のニブさを知ってか知らずか、「トントン」と私の背後からこっそり近づき、肩をたたいては、走って逃げる。
いたずら仲間とそんな遊びをあみ出してました。