sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Payatas ―Land of Promise―

sayakot2007-06-16

マニラ市郊外「パヤタス」地区で、地域の子供達の奨学金サポートを行っている日本のNGO「SALT」を訪ねた。


「第二のスモーキーマウンテン」と言われるこの一帯には、日々、マニラ中のゴミ1600トンが集積される。1992年から本格的に始まり、その広さは17ヘクタールに及ぶ。


フィリピンではゴミの焼却処理が禁止されているため、一度捨てられたゴミは、半永久的に集積場に集積されていく。そして、かつてのスモーキーマウンテン(マニラ市トンド)が95年に閉鎖されたように、その場所がゴミで完全に溢れると、新たな場所が集積所となるのである。このパヤタスのように。


パヤタスには10万人近い住民が住んでいるが、その中でも特にゴミ山の周囲を囲むように建つ家々は、ゴミを換金することで生活するスカベンジャーたちのもの。その多くは、仕事を求めて故郷を離れた貧農貧漁村出身者か、政府の強制退去等で追いやられた人々だ。
案内をしてくれたB氏も、95年に立ち退きを命じられ、他の750世帯の家族と共にパヤタスに移ってきた。


換金の対象になるのは、プラスチック、鉄、紙、ガラス、ペットボトル、ブロンズなどで、一番高価なペットボトルが18P(約45円)/kgである一方、ガラスは1P(約2.5円)/kg。朝6時から夕方6時まで働いて、1日100P(約250円)が平均収入だそうだ。
「この仕事に誇りを持っているわけなんかない。誰だってこの生活から脱出したいんだ」


B氏の説明によると、過酷な生活に拍車をかけるのは、ロペス財閥による、マニラ市の生活インフラ事業の独占。一方的に吊り上げられる価格に抵抗する術があるはずもなく、月々の水道・電気代として1000P近い負担が家計にのしかかる。


ゴミ山には、様々な危険が伴う。治安の悪さはいうまでもないが、メタンガスによる自然発火、結核デング熱マラリア破傷風、有害物質の影響と見られる種々の奇病。そして恐ろしいのは、ゴミ山の崩壊のリスク。
2000年7月、降り続いた雨によって、高さ50mにまで蓄積されていたパヤタスのゴミ山が一気に崩壊し、700名を超す犠牲者をだした。当時、日本でもわずかに事件の様子が報道されていたのをかすかに覚えている。
それでも、人々はこの地を離れようとはしない。集積場が閉鎖されれば、彼らは生きる糧を失うのである。


“I hope you learned something from Payatas. Please do not forget about us. Tell about this place to your friends in Japan. Please come back to this place sometime again(あなたがパヤタスから、何かを学びとってくれたなら幸いです。どうか私たちのことを忘れないでください。日本にいるあなたの友達に、この場所のことを伝えてください。そしていつか、この場所に戻ってきてください)”


手をしっかりと握りしめながら、B氏は静かにそう言った。


マニラで暮らす人々は、一度でも意識することがあるだろうか。自分達が、家や学校や仕事場で無意識に捨てているその全てのゴミが、回りにまわって、ここパヤタスに生きる人々の下に届けられていることを。


マニラで暮らす人々は、一度でも想像したことがあるだろうか。スカベンジャーとして生きねばならない己の運命を呪いながら、子供にだけはせめて人並みの人生をと、学費を賄うために昼夜ゴミを拾い続ける親の姿を。


明日も、明後日も、そしてきっと10年後も、その土地がゴミで飽和するまで、パヤタスの人々は、家族と共に、この地に生き続ける。


PAYATAS――。皮肉をこめて、人はこの土地を、「ルパン・パンガコ(約束の地)」と呼ぶ。


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写真は、奨学生に補修を行っている風景。
SALTでは、個人の寄付を元に、50−60名の子供達に奨学金を提供する他、女性たちに刺繍トレーニングを提供し、商品販売を行っている。