sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Empowerment of the women by the women

sayakot2007-06-15

とある統計によれば、フィリピンに存在するNGOや市民団体の数は、32万5千に上るという。


長年に渡るスペイン、アメリカ、日本の支配と、約20年に及んだマルコス政権の独裁。
日本では(たぶん)あまり知られていないが、現アロヨ政権においても、その発足以来、既に800人以上が政治的に殺害されたとささやかれており、政府による人権弾圧のレベルは、今なお想像を絶するものがある。


NGO大国フィリピン」の背景にあるのは、この断ち切れることのない負の連鎖の中で、自分たちの権利は自分たちで守らねばという人々の意識があるのかもしれない。


カトリック系教会や、先進国NGOや国際機関の援助を受けて、いまやフィリピンのNGOは、様々なフィールド、様々な規模で、自律的に市民社会に根を下ろし、実際に政府に代わって数多くのサービスの提供や、人材開発、地域開発などを行っている。



前置きが長くなりました。。。


今日は知人の紹介を受け、日本で「 エンターテイナー」として働いていた女性たちの社会復帰をサポートするNGO「BATIS」を訪ねた。


「エンターテイナー」とは、日本における就労ビザの一つである「興行ビザ」にあてはまる職業の人々。
70年代までは、実際にプロの歌手やダンサーを指していたそうだが、80年代以降、若い女性であればほぼ誰でも取得できるのが実態となり、貧しい農村出身のフィリピン人女性が、時に人身売買同然に連れてこられ、風俗店で働かされるケースが急増。
法律上は18歳以上という規制があるものの、14‐16歳の少女達が、悪質なブローカーを通して違法にやってくるケースも珍しくないとか。
そして、過去30年間に日本にやってきたフィリピン人エンターテイナーの数は、なんと50万人。


BATISは、フルタイムのフィリピン人スタッフが3名、ボランティア2名からなる小さ団体だが、88年の発足以来、2300人以上の、元エンターテイナーとその子供たち(多くが、日本人男性を父親に持つ)をサポートしてきた。


発足当初は、トラウマを持って帰国した女性たちへのシェルターの提供が中心だったが、現在では、元エンターテイナーたちの相互扶助ネットワーク作り、認知されずに育った子供たちのメンタルサポートや教育支援、新たな職業訓練、これから出稼ぎに行く女性たちへの啓蒙活動、日・比政府への人身売買に関するモニタリング強化の要請など、その活動内容をダイナミックに進化させてきた。


「私たちの活動意義がなくなってくれること、それが本当は理想なのだけれど」と代表はため息をつく。だが、高い失業率に悩み、国民の14%以上が1日1ドル以下の生活で暮らすこの国の女性たちにとって、出稼ぎは家族の生活を支える手段そのもの。肉体的にどんなリスクにさらされようと、どんなに規制が厳しくなろうと、何度強制送還されようとも、その法の目をかいくぐって、彼女たちはまたやってくる。


「とはいえ、出稼ぎは決してネガティブなことばかりじゃないのよ」と代表が付け加える。
貧しい農村で閉鎖的に暮らしていた女性達が、外の世界を経験することにより、より自分達の生活の質(Quality of Life)というものに、より意識を向けるようになるということだ。そこで養われた自律的な思考は、帰国後、女性たち自身によるエンパワーメントにもつながっていく。
BATISでも、元エンターテイナーたちが自ら運営している食堂が軌道に乗り、来月2号店をオープンさせるそうだ。
「是非食べに来てちょうだい」中年のおばさんが誇らしげに声をかけてくれる。


日本社会からほとんど注目を浴びることなく、ここフィリピンで地道な活動を続ける彼女たち。
私たち日本人は、「フィリピーナ」と彼女達を一緒くたにすることで、その一人ひとりに意識を向けることを無意識に恐れ、拒んでいるのかもしれない。
エンターテイナーとして日本で働いていた彼女たちの目に、私たち日本人のQuality of Lifeは果たしてどのように映っていたのだろうか。