sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

〜レイテ島・サマール島〜

sayakot2007-06-12

6月8−12日、大学の休日を利用して、レイテ島・サマール島を訪ねた。
観光地化の進まないこれらの島で、若い日本人女子2人の旅はかなり珍しかったらしく、行く先々で現地の人たちの温かい気遣いを受けた。
短い期間ながらも、素朴で誠実な、昔ながらのフィリピンの素顔に完全に魅了された旅だった。


簡単に、両島のご紹介。
ルソン島の南東に位置するサマール島とレイテ島は、マルコス政権時代に日本政府の援助によって建設された2.6kmの大橋で結ばれている。
マニラからは飛行機で約1時間。セブ島からもフェリーで2時間半という距離。両島とも、ココナッツの緑深い山岳地帯がそのほとんどを占めている。


住民のほとんどは、ココナッツ(油をとるためのコプラ)、サトウキビ、トウモロコシ、米といった農業、そして漁業で生計を立てていて、もともと豊かとはいえないフィリピン全体の中でも、特に貧しい地域として知られている。


中でも、サマール島では、毎年のように襲う台風・洪水・土砂崩れなどの自然災害が、人々の厳しい生活環境に追い討ちをかけており、それが、この地域における歴代の共産党系反政府組織NPA(新人民軍)支持の理由ともなってきた。NPAと政府軍との血なまぐさい抗争は、フィリピン全土で未だに活発に見られるが、サマール島におけるそれは、最近は沈静化しているとのこと。(そもそもNPAが外国人を標的にすることはあまりない)。


また、両島の共通点として、どちらも、第二次世界大戦中、日・米軍の熾烈な戦闘が全域で展開された島であり、今なお、戦争の遺物をひっそりと残している地域であることが挙げられる。神風特攻隊が展開されたのも、レイテ沖での戦闘が初めであり、また、一度は撤退を余儀なくされたマッカーサーが、”I shall return”と言葉を残し、フィリピン奪回をかけて再度上陸を果たしたのもこの島だった。


日本人としての歴史の重みと、開発から取り残された貧しい地方の現実を訪ねて、こうして4泊5日の旅が始まった。



・・・。
ちなみにレイテ島といえば、大岡昇平の「レイテ戦記」が有名。
小学校低学年の頃、ナルニア物語が大好きだった私は、この本を発見したとき、エキゾチックな名前をしたこの島に、不思議な愛着を抱いていた(実際に本を読む前の話)。こうしてまさか実際に自分が訪れる日が来るとは、正直思ってもみなかった。


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写真は、レイテ島タクロバン南方にあるMacArthur Landing Memorial Parkにて。1944年10月20日マッカーサー上陸を再現したこのブロンズ像は、実際の1.5倍の大きさがあり、鈍い光と共に当時の重たい緊張感を今も伝えている。10月20日は、今も毎年、盛大に祝われている。