sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

A Story of a Fighter

sayakot2007-05-05

ちょっとした事件。


同期のフィリピン人のMが、寮を出て行くという。


Mは、30人いる私達同期の中で、常に特別な存在だった。

第一に、彼が、このプログラムの数少ないフィリピン出身の若者であること。開始当初から、彼は、地元料理の紹介から、ジプニーの乗り方のハウツー、安い携帯の買い方まで、本当に親身に皆の面倒をみてくれた。

第二に、彼がAteneoの卒業生(社会心理学修士過程)であること。キャンパスにまだ慣れない私達に、最初にキャンパスツアーをしてくれたのも彼だし、構内で出会うかつての同級生や教授達を紹介してくれたのも彼だ。

そして第三に、褐色の肌を持つ彼が、ルソン島南部の極貧コミュニティの出身であり、フィリピン社会に根付く格差や差別の実態を、私達に身を以って示してきてくれたこと。幼い頃から奨学金を通じて教育を受けてきた彼にとって、フィリピンで最も裕福な子弟が集まるAteneoで、貧困地域の社会心理学を学ぶということがどのような意味を持ってきたのか。そしてその先に、国際平和学という更に大きなフィールドを選んだ彼に、私はずっと興味があった。


その彼が、今回、私達の寮を去るのである。


実際はもう少し複雑なのだが、簡単にいうとこうだ。
生まれてから今まで、常に逆境の中で自らの道を切り拓いてきた彼にとって、現在の寮生活はあまりに"恵まれ"過ぎているのだという。「安全」「快適」な住環境と引き換えに、月々の奨学金から自動で引き落とされる300$。しかし彼にとって、24時間のセキュリティや、週に1度の室内クリーニングサービスやルームサービスなど、ほとんど意味を持たないものなのだ。もし、許されるのならば、ラップトップや本、研究の活動資金、そんなものに使いたかったのだと。現実には、今回の立ち退きによって、彼が寮からリファンドを受けられる可能性は少ない。彼はこれから毎日、1時間かけて、マニラ郊外の姉夫婦の家から通学するのである。"I had to take actions."


昨日も、今日も、そしてこれからも、彼はたった一人で、私達には見えていない何かと戦い続けるのだろう。